アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』を再読した。

以前読んだのは、いつ頃だっただろうか。

 

少なくとも社会人になってからは読んだ記憶がないので、学生以来か。

 

やっぱりミステリとなると古典がいいよな、と改めて感じさせてくれるのが、クリスティ。クイーン、カーは少し難解だから、万人が親しめるのはやっぱりクリスティだよな、と。その分、前二人のほうが本格ミステリに備わっている「緻密性」は圧倒的に高い。ちなみに、wikiで調べたら、世界三大推理小説家はこの三人らしいです。日本では誰になるんだろうか?三大名探偵が明智金田一、神津だから、やはり江戸川乱歩横溝正史高木彬光になるのだろうか。ネットでさらに調べると色々と候補はあるみたいです。

 

ところで、僕はミステリマニアまでいくほど読書量があるほどでもないし、評論家でもないから作品を評価できる能はないのですが、やはり、古典ミステリは構成がシンプルであるからが故に本来のミステリにどっぷり浸かれるんだと思う。

 

 

冒頭に謎が示される→事件が起きる→さらなる殺人事件発生→関係者の洗い出し、ワトソン役がさりげなくヒントをみつける(大抵、本人は気づいていない)→探偵役はトリックを見破り、関係者を一同に集め、犯人を名指して事件解決

 

 

この構造がたまらんのよね。自分が「とてつもない」と感じたミステリが必ずしもこのスタイルをとっているかというとそういうわけでもないんですが、ミステリの形はこれが基本。基本を押さえた上で例外をつぶしていくべし。クリスティの『ABC』は、このミステリの王道がまさに体現されている。頭に入ってきやすいんですよね。

 

なぜかっていうと、あまりごちゃごちゃした説明やら背景知識が続いたりすると、書き手が示す事件を解き明かすための「謎」を、読み手が掴みづらくなるんです。もちろん、これをいかにぼかすか、注意をそらすかが書き手の腕の見せ所なのですが、あまりにも範囲が広がりすぎると、今度は読み手が混乱してしまい、ページを進めることが目的となってしまって、ミステリの醍醐味が薄くなってしまう(この点、純文学なんかはいくら広げてもまだましだと思うのですが)。どんなに長くとも400ページぐらいが自分にはちょうどいいんです。まあ難しいところです。膨らませたほうが物語が多層的になって、読後の余韻も濃厚なものに化けることもあるんですけどね。

 

あと、トリックについても触れておきたいと思います※ネタバレはしません。

大量のミステリの経験を経た上で、『ABC』が未読の場合、『ABC』を読んでみると、「これはミスリードなんじゃないの〜」や「このトリックって他の小説でも似たようなのでてきてなかったか?」という感想は誰でも感じると思う。だが、その感想が出ることがこの作品の凄まじさを示している。『ABC』が書かれたのは1930年代。今だにこの作品がオマージュされることもあるから、ミステリ好きには必須の作品だと思うんです。