世間から置いてけぼり

ふとしたときに、「世の中の価値観」についていけていないと感じることがある。

ぼくはどちらかというと、多数が思考する世界の中で生きるのは苦手なのかもしれない。

一応働いてはいるが、特に有能でもなく、出世しているわけでもないし、仲の良い同僚、先輩・後輩がいるわけでもない。友達はいないし、結婚もしていないので、交友関係は親族ぐらいしかいない。休日はだいたい11時ころまで寝て、一人で本読みながら過ごしているし、読書も音楽の趣味も10代、20代の頃から変わってない。

 

周りとの価値観の差という観点から過去を振り返ると、例として思い出すことがある。

 

2000年代の後半にAKB48という「会いにいけるアイドル」を謳うグループが発足した。本家はもちろん乃木坂、櫻坂などの坂道系、また、NMB、NGTなど地域性を重点に置いた派生グループを生み出すなど、日本のアイドル史に大きな影響を与えたグループである。今でこそ、国民の認知率は相当高いものと思われるが、ぼくがその名前を知った時(確か2006年、7年ぐらいだったと思う)は、得体のしれないマニアックなアイドルであり、いわゆるオタクが好むアイドル像としての受け止め方しかされていなかったと思う。

 

ぼくは発足時のAKBを知っていた。それはそこそこの主要メンバーに知り合いがいたからである。風の噂で芸能関係の仕事をしていると友人から聞いたぼくは、深夜、家族が寝静まった夜中に家のパソコンでおそるおそる「AKB」と検索し、なんとかして公式ホームページのメンバー欄にたどり着き名前を探したところ、確かにぼくの知った名前がディスプレイに表示されていた。ちなみに翌日は大学入試の模擬試験だったと記憶している。興奮していたぼくは徹夜するはめになり、適当に回答したところ、当然ながら良い結果とはならなかった(これがもとかはわからないが、浪人するハメになる)。

 

その子とは友人関係とかではなかったけれど、自分の知り合いが、ちょっとしたメディアに取り上げられるようなアイドルグループに在籍していることは少しの自慢になった。興奮したぼくは模試の翌日の学校のクラスでAKB48とその中に知り合いがいることを少し自慢げに話したのだが、少ない友人からは(あくまで主観的にはではあるが)ボロっクソに叩かれた記憶がある。そんなグループしらねえよ、ならまだわかるのだが、そういうアイドルグループを話すなんて気持ちわるい、ロリコン、変態、お前模試失敗しただろ、などなど。

 

一年の浪人後、なんとか大学に進学できることとなったのだが、この2年程度の中でAKB48は文字通り「スター」となっていた。だれも知らない地下アイドルから「AKB現象」ともいえるような過熱っぷり。出す握手券はCDという付録付きで、一人で何十、何百と購入するヘビーユーザー層を生み出した。このイケイケドンドンの時流にのり、大学入学直後に知り合った同じクラス内の友人に高校時代の友人に放った言葉と同じコト話したら、

すげえ!、メアド知ってんの?、うらやましい、紹介して欲しい

など、反応が180度変わっていた。

 

ちょっと切なくなった。確かにAKBは規模も大きくなり、人気は出たけど、それそのものが「とても素晴らしいもの」になったが故に彼らの評価に差が生まれたというわけではないだろう。おそらく、ボロっクソ言った高校時代の友人たちもイケイケドンドンの時期に同じことを言われれば、大学の友人と同じリアクションをしただろうと考えてしまったのである。

 

周りの人たちが良いぞーと言っているものを積極的に褒める、便乗することで、世間のレールから外れることなく、精神的にも多数派にのれる。この安心感は麻薬みたいなもんであって、その本質的なところはどうでもいいのかもしれない。ちょっと前まで規制のゆるーいお笑い番組にゲラゲラ笑っていた人が、今では紋切り型の人権論者になっていたりするかもしれない。