『世界の終わり、あるいは始まり』を読みました。

『世界の終わり、あるいは始まり』を読みました。

 

Amazon.co.jp: 世界の終わり、あるいは始まり (文芸シリーズ) : 歌野 晶午: 本

 

 

行きつけのブックオフの棚に並んでいるのを見かけて、アプリの100円クーポンを使って買いました。

著者の作品は何冊か読んでいるのですが、そこそこ有名な標題作品はノータッチ。

結構分厚く(約500ページ)、果たして完読できるのかと不安でしたが、読み始めるとどんどんページが進む、進む。歌野さんの本って比較的ページ数多めなんですが、それでも1、2日で読めちゃうんです。これはやはり、先が気になるストーリーの作り込みと読み続けさせる文章の旨さのセンスだと思います。

 

内容について簡単にまとめると、

小学生男児の連続誘拐事件が近辺で発生、誘拐男児の両親は犯人からの身代金の要求には応えたものの、後日、男児の死体がみつかり、いずれも短銃で殺害された形跡であった・・・・。しかし、それはあくまで他所(よそ)で起きたこと。うちの家族には関係ない。ときには喧嘩もするけれど、世間一般的には、絵にかいたような幸せなを噛み締めている。そんな中、ふと入った息子の部屋から連続誘拐事件に関係する証拠がつぎつぎと出てきて・・・・。

 

 

 

 

若干ネタバレを挟みますが、

ストーリーの展開として、はっきりとした犯人やそのトリック、動機が語られるわけではないので、いわゆる事件が起こり、容疑者が絞られ、最後に探偵が犯人のトリックを見破り円満解決というタイプを期待して読み進めると、本書の結末には肩透かしをくらかもしれません笑(実際、私もそうでした・・・)。

 

ただ推理小説、というかミステリーとしてはこれはこれでありなのかなとも思いました。今までに読んだことのない形というか、これまでの読書遍歴からいうと、似たようなものとして、貫井徳郎の『プリズム』や西澤保彦『ファンタズム』とか(後者はちょっと違うかもしれませんが、読後の肩透かし感が似ていたので。)

 

ただ、著者のミステリーを何冊か読んでいたので、「驚きのトリック!?」「意外な犯人??」を期待していた自分にとっては、ちょっと期待ハズレだったかな・・・。